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広島高等裁判所岡山支部 昭和41年(ネ)125号 判決

第一審原告 吉中清 外一名

第一審被告 峠田彦太郎

主文

第一審原告吉中清、同吉中可志子、第一審被告の各控訴を棄却する。

控訴費用はこれを三分し、その二を第一審原告らの、その余を第一審被告の負担とする。

事実

一、双方の申立

1、第一審原告らは「原判決中第一審原告らの敗訴部分を取消す。第一審被告は、第一審原告吉中清に対し金三三万一九九八円、同吉中可志子に対し金三一万八五九一円、及び右各金員に対して昭和三七年一月二五日から完済にいたるまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は一、二審とも第一審被告の負担とする。第一審被告の控訴を棄却する。」との判決を求めた。

2、第一審被告は「原判決中第一審被告の敗訴部分を取消す。第一審原告らの請求を棄却する。訴訟費用は一、二審とも第一審原告らの負担とする。第一審原告らの各控訴を棄却する」との判決を求めた。

二、双方の主張と証拠

当事者双方の主張及び証拠の提出・援用・認否は、左記のとおり付加するほか、原判決事実摘示記載のとおりであるから、これを引用する。

(第一審原告らの主張とその補充)

1、第一審原告らの本件損害賠償の請求は、自動車損害賠償保障法(以下自賠法という)第三条による責任と、民法第七一五条の使用者責任とを選択的に主張する。

2、亡吉中昭二には本件事故発生について何等の過失もない。即ち昭二は本件貨物自動三輪車が加速して進行したため帰宅できなくなると考え荷台から飛び降りたもので、これは昭二の過失というより、子供に共有する通有性ともいうべきものである。仮りに、昭二に過失ありとしても、同人は完全な弁別能力を有していないから、昭二の損害額算定につき過失相殺をすることは許されない。また過失相殺をするにしても、その額は損害額の五分の一以内にとどめるべきである。

3、本件事故は第一審被告の使用人田中新吾の過失によつて発生したものである。即ち、本件貨物自動三輪車の荷台に人を乗車させることは許されていないのに昭二等を乗せたのであるから、運転者たる田中は昭二等が走行中、飛び降りたり、また転落したりしないため、細心の注意を払つて運行すべき義務があるのにこれを怠つたものである。

(第一審被告の主張の補充)

1、本件事故は、第一審被告所有の本件貨物自動車の運行によつて生じた事故でないから、同被告は自賠法第三条による責任はない。

即ち、自賠法第二条には、自動車の運行とは自動車を当該装置の用い方に従つて用いること、と規定されているが、当該装置の用い方に従いとは、機関、操向、伝動、制動、燃料、その他の装置により自動車を移動せしめることを意味するものと解すべきである。しかるに、本件は、単に牽引する前車の牽引力によつて移動せしめられていたのみで、本件自動車は何らの装置も自ら使用していない。道路交通法第五九条、同法施行令第二五条により、田中は本件自動車に乗車しハンドル操作をしていたが、これは単に牽引する車のあとを追従するためのみに操作していたもので、通常の用法による操作と解することはできない。

しかも故障自動車が牽引されている場合には、同法第五九条、同法施行令第二五条の規定の趣旨から考え、牽引する車と牽引される車とは一体をなすものとみるべきで、この場合には、すべて牽引する車の運行であつて、牽引される故障車には独自の運行はあり得ない。よつて、本件においては、本件事故が自動車の運行による事故であるとしても、それは牽引している自動車の運行によるものとみるべきで、第一審被告所有の自動車の運行によるものではない。

2、本件事故は、昭二が特段の事由もないのに本件貨物自動三輪車の荷台から、自ら飛び降りたため発生したものであるから、右自動車の運行と本件事故発生の間には相当因果関係がない。

(証拠)〈省略〉

理由

一、当裁判所は第一審原告らの自賠法第三条にもとづく本訴請求について、原審認容の限度において正当と認め、その余を失当として棄却するが、その理由は、左記に付加するほか、原判決理由に説示するところと同一であるから、これを引用する。

1、本件貨物自動三輪車の走行は自賠法第三条の「運行について」に該当するかどうかについて。

本件事故は、原判決理由に説示するように、第一審被告の使用人である田中新吾の操縦する同被告所有の貨物自動三輪車(以下本件三輪車という)のエンジンが故障したため、その修理調整のため修理業者東急くろがね販売株式会社の繁譲二の運転する自動三輪車に約五米のロープをつけ、本件三輪車を牽引して走行中に、同三輪車荷台に乗つていた亡吉中昭二が飛び降りたため発生したものであることは明らかである。

自賠法第三条は、自巳のために自動車を運行の用に供する者は、その運行によつて他人の生命、身体を害した場合はその損害を賠償する責任がある旨規定し、同法第二条第二項は、この法律で「運行」とは人又は物を運送するとしないとにかかわらず、自動車を当該装置の用い方に従い用いることをいう、と規定し、道路交通法第五九条は自動車の牽引をなしうる場合を、同法施行令第二五条は故障自動車の牽引方法を、それぞれ規定している。従つて、自賠法第二条の当該装置とはエンジン装置、即ち原動機装置に重点をおいた規定ではあるが、必ずしも右装置にのみ限定する趣旨ではなく、他の種々の走行装置等を含めた趣旨であると解すべきである。

よつて、エンジンの故障によりロープで牽引されている自動車も、自らのハンドル操作により、或いはフツトブレーキまたはハンドブレーキにより、その操縦の自由を有する場合には、当該装置の用い方に従つて用いた場合に該当し、故障車自体の運行行為であるというべきである(勿論牽引されている自動の前輪または後輪をあげて牽引されている場合は、操縦の自由が全くないから、前記運行に該当しないこというまでもない)。従つて右に反する第一審被告の主張は採用し難い。

2、第一審被告は、亡昭二は特段の事由もないのに本件三輪車の荷台から自ら飛び降りたため本件事故が発生したのであるから、本件事故発生と本件三輪車の運行との間に相当因果関係はないと主張する。

よつて検討するに、この点に関する当裁判所の判断は、原判決理由に説示するとおりであつて、本件事故は田中の運行についての過失と亡昭二の過失とが相俟つて発生したものであるから、右主張は採用しない。

3、第一審原告らは、亡昭二には本件事故発生につき何等の過失もなかつた、仮りに過失ありとしても、亡昭二は完全な弁別能力がないから損害額の算定に右過失を斟酌することは許されない、仮りに過失相殺が許されるとしても、亡昭二の損害額の五分の一以下にとどまるべきである、と主張する。

この点についての当裁判所の判断は、原判決理由説示のとおりであり、亡昭二にも過失があることは明らかで、また亡昭二は、成立に争いがない甲第四号証によれば、岡山市立福島小学校二年に在学し、心身ともに健全で、しかも学業成績も優秀な児童であつたことが認められるので、走行中の自動車荷台より飛びおりることの危険性については十分に弁識しえたものと認められる。そして亡昭二の行為が本件事故発生の大きな原因をなしていることも、原判決理由説示のとおりであるから、過失相殺については原判決のように判断するのが相当である。

二、よつて、民事訴訟法第三八四条、第九五条、第九三条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 林歓一 可部恒雄 西内英二)

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